情報だって、再発明したっていいじゃんね。

移転しました。

キャンドルランタン - 写真素材
(c) ふうパパ写真素材 PIXTA

車輪の再発明があるんだったら、情報だって再発明したっていいじゃんね。

ふと、思った。


自分が書いても意味がない?

すでに誰かがやってるから。
すでに誰かがブログ書いてるから。
自分が書いても意味がないんじゃないか。


久々に、自分のブログを読んだけれど、最近、全然自分の考えとか、そのときの思いとか残せていない。
なぜかって考えてみると、下手に自分の見える世界が広がって、自分が書いても意味ないんじゃないかって思えてきてしまったから。


○○のことなら、あの人のブログを見てればいい。△△のことなら、あの人をフォローしてればいい。
見るだけで、満足してしまって、実際自分がやってたことあることで、記事にしようと思っても「あの人が書いてるからいいや」って思ってしまう。


でも、アウトプットできずに、いつももやもやした感じは、残っていた。


車輪の再発明

プログラマの世界に、車輪の再発明って言葉がある。
錆びた農機具 - 写真素材
(c) archストック写真 PIXTA

「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を知らずに(または意図的に無視して)、同様のものを再び一から作ること」
車輪の再発明 - Wikipedia

すでにあるものは、ゼロから作り直すんじゃなくて、利用しましょう。ゼロから作るのは労力の無駄ですよって話。
この「車輪の再発明はするな」という声がある一方で、車輪の再発明を推奨する声もある。

69 車輪の再発明の効用

プログラマが知るべき97のことの中でも、車輪の再発明について述べられている。

世の中には、ソフトウェア開発のパターンや、設計について書かれた本がたくさん出回っています。(中略)ただ、そういう本は、いくら素晴らしいことが書かれていても、だいたいは読むと眠くなります。ヨットの出てくる映画を見るのと、実際に自分でヨットに乗るのとでは全く違います。それと同様に、すでに存在するコードを流用するのと、実際に自分でゼロからソフトウェアをデザインし、テストし、バク修正をして品質を高めていくのとでは、まるで違うのです。


はてブ記事を見ただけ、本を読んだだけじゃわからなかったことも、実際にやってみればみえてくるだろうし、Webで見つけた簡単そうなサンプルコードを実装しようとしても、実はつまずく自分がいたりする。
自分が、試行錯誤したことって実際すごく価値がある。

車輪の再発明をしようとした結果、失敗することもあるでしょう。しかし、それは一度で車輪の再実装がうまくいくよりも貴重な体験になるはずです。自分の手で、ゼロからコードを書き、あれこれと試行錯誤をすることを通して学ぶのは、ただ技術書を読んで学ぶこととは大きく違います。試行錯誤をしている間は、悔しがったり喜んだり、感情が大きく動くことになるからです。

情報の再実装

車輪の再実装は、知識と技術を高めるには、有効な手段だっていうのであれば、きっと情報の再実装も同じ価値があるじゃないか。

どこかで得た情報も、自分の手で、自分の足で、自分の頭で、再実装することによって、新たな発見があるだろうし、何よりも自分のためになる。

そうか、じゃあ、


すでに誰かがやってるから。
すでに誰かがブログ書いてるから。
自分が書いても意味がないんじゃないか。


ってのは、間違ってて、同じような情報を誰かが書いていても、その情報を再実装することは、自分にとって一番価値があるんじゃないか?


自分でやったことは、自分が聞いたこと、自分が感じたことは、どんどん公開すればいいじゃん。
今の、自分の立ち位置、ありのままの自分の姿を残せば、自分にとっては、すっごく意味のあることになるんじゃないかな。


2007-09-10 - きしだのはてな
車輪の再実装は、むしろやるべき


地方からの戯言: 車輪の再発明を推奨してみる
「アプリケーションを作成できる人材に成長したとしても、小規模でもライブラリ・フレームワークを作成できる人材にはまだ遠い」 ...


車輪の再発明があるなら、情報の再発明もあるじゃんね。

最近、ライフログ関係の本を読んでいたのと、自分のブログを読み返していて、ふと、思ったから勢いで書いてみた。

せっかく、今の自分が調べたこと、考えたことなんだから残していかないともったいないよね。


プログラマにとって、コメントは、未来の自分への手紙。
ブロガーにとって、エントリーは、未来の自分への、礎。
ライフロガーにとって、今の自分が残した痕跡は、未来の自分へのご褒美。


残さないともったいないよね。ねっ!!!


参考ページ

車輪の再発明だとしても記事は書くべき|ウープスデザインブログ
これが「視点」ということになります。 「『デザイナー』である『私』が『デザイナーでない人達』に記事を書く」 そうすると、どのように文章を書くかなどがおのずと見えてくるので他の記事との差別化にもなり ...